この記事の目次
1. 回復できない、の正体
何かを動かし続けている人ほど、ある種の疲れを抱えています。
休んでも戻らない。旅行に行っても、翌日には元に戻っている。「回復した」という感覚が来ないまま、また走り出している。
その原因は、人によって違います。睡眠が足りていない。休んだつもりで頭が止まっていない。そもそも休む前に消耗しすぎている。
ただ、多くの「回復できない」に共通しているのは、自分に合った休み方の選択に加えて、生活の仕組みの中に「自然に回復が起きる機会」が繰り返し組み込まれているかどうかです。
2. 師走の京都・南座 の歌舞伎興行は活気で満ちていた
昨年の師走、京都・南座の顔見世興行に足を運びました。
八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助の襲名披露と重なったその年の南座は、映画『国宝』の影響もあり劇場の空気がいつもと違いました。冬の四条大橋を渡り、着物で席に着きます。今日の見せ場は、音羽屋のお家芸である『弁天娘女男白浪』。南座は舞台と客席の距離感が密接で、花道からは役者さんの「気」がバンバン飛んできます。
まるで、数千人が一つになって押し寄せてくる祝祭のエネルギーに、揉みくちゃにされているような感覚でした。
終演後、劇場を出ると京都の底冷えする夜風が頬に当たります。身体の芯がまだドクドクと脈打っていて、細かい悩みも歳末の疲れも、どこかへ行ってしまったようでした。

3. 祝祭が脳にすること。脳の仕組みからみた「ハレとケ」
ついこういう時に「楽しかった」と凝縮した感想でまとめてしまうものですが、「楽しかった」を分解してみようと思います。
これはよく知られていることですが、民俗学には「ハレ」と「ケ」という時間の区分があります。日常(ケ)を送る中で「気が枯れる」状態が蓄積し、非日常(ハレ)の祝祭がそれを回復する。この循環が、人の営みを持続させる構造として機能してきた、という見方です。(細かくは諸説あります)
これは、科学的にも一致するメカニズムがあります。
競争の続く環境にいる人の脳は、常に警戒状態に置かれています。UCLの研究では、ライブ鑑賞中の観客は心拍数が同期することが示されています。劇場という空間が外部情報を遮断し、数千人が物語に五感を向けるとき、脳は深いリラックスと集中の状態へ自然に移行します。そして、過活動になっていた不安の回路が静まり、固まっていた思考の枠が一時的に緩みます。その瞬間、枯渇していた意欲がじわりと戻ってくるのです。
南座での感覚の科学からみた正体は、おそらくそこにあります。
4. 劇場や祭りは、なぜまちにあるのか
ここで、私の中に根本的な問いが浮かびました。都市に劇場があり、地域に祭りがある。それはなぜなのでしょうか。
「観光資源」や「文化財」という役割は、現代だから新たに生まれてきたもの。そもそもは「共同体や個人が活気を持って持続するための装置」として、劇場や祭りは実際に機能してきました。意図してそう設計されたわけではないかもしれない。ただ、そういう場所がまちに根付き、繰り返されてきたという事実は、結果としてそれが必要とされてそういう機能を果たしてきたことを物語っています。
「回復できない」という感覚が続いているとしたら、自分に合った休み方を探すことと同時に、そういう装置が自分の生活の環境に入っているかどうかを問い直す余地があるかもしれません。それも、無理なく取り入れられて楽しめるコンテンツ・プログラムとして。ウェルネスという言葉が指すものは、個人の習慣だけではなく、こうした場所との関係性の中にもあると、KAFUNは考えています。
南座の熱気は、その確信を静かに残してくれました。
梅澤 さやか
KAFUN代表 / カルチャーマーケティング・コンサルタント 慶應義塾大学美学美術史学卒。30年・270件以上の文化マーケティング実績を持つ。文化資源の再編集、映像によるブランド構築、芸術ウェルネスなど、文化と経済を結ぶ事業を展開。著書に『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』
❖ KAFUN(カルチャーマーケティング・コンサルティング / 文化体験プログラム企画制作)
❖cultiba(アートに行動調律プログラム)





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