1. 積み重ねが、あの瞬間をつくっていた

若い頃、仕事終わりにオフィス近くのジムで泳いでから家に帰る習慣がありました。

タイムを縮めようとか、フォームを直そうとか、そういう目的があったわけではありません。毎日、激務の時期だったので、仕事をした後に水の中に入って無心で泳いで気分を切り替える。どちらかというとマインドフルネス的なリフレッシュが動機で続けていました。

泳ぐたびに、水の抵抗はわずかに違います。その日の体の状態によって、同じストロークでも感覚が少しずつ違います。意識してそれを感じ取っていたわけではありませんが、毎回「今日はこんな感じか」という小さな予測と泳いでみたところとの感覚誤差を、ただ受け取り続けていました。

ある日、これまでとまったく違う感覚で泳げた瞬間がありました。力が抜けて、無駄なく、速い。自分でも驚きました。

当時は、なんでいきなり「うまく速く泳げたのか」その理由がわかりませんでした。

その後、仕事の中で、神経科学の予測処理(Predictive Processing)理論に触れる機会がありました。脳は「次に何が起きるか」を常に予測し、実際の感覚との誤差を照合しながら更新し続けている——という理論です。

そこで、腑に落ちました。あの日の感覚は、突然やってきたのではなかった。たんたんと泳ぎ続けながら、毎回わずかに違う水の抵抗を受け取り続けていたことが、少しずつ脳の予測モデルを更新していた。積み重ねが、あの瞬間をつくっていたのだと。

野球の大谷選手がいうところの「コツを掴むのは一瞬」というのは、こういう仕組みの実践からきているのか、と合点がいきました。つまり、素人でも、この仕組みを上手に活用すれば、超人・大谷選手と同じように「コツを掴む」ことをもっと意識的にできるはずなのです。

そして、これは脳の仕組みゆえ、スポーツ以外にも広く応用できるはずです。たとえば、年代を問わず感じるデジタルからの過剰情報による影響ーー「不調」「生産性の低下」のサポートにも。

2. 「わかっているのに変えられない」——原因は意志ではなく、脳の構造にある

判断に時間がかかるようになった。会議で頭の回転が遅いと感じる瞬間がある。週末にしっかり休んでいるのに、月曜にはもう疲れている。子どもにスマホを控えさせたいのに、自分も手放せない夜がある。

デジタル時代における情報オーバーロードにより、以前ならこんなことを感じる人が増えてきたはずのことも、現代では早ければ10代から悩みを抱える人も多い時代です。

これを「集中力が落ちた」「年齢のせいだ」と片づけてしまうと、問いの立て方が変わりません。意志の問題でもなければ、年齢の問題だけでもない。それぞれ、個人の体質や生活習慣のかけあわせにより、どんな経路でそうなっているかは多岐にわたるはずですが、これらの根本になっているような「生活習慣」を「やめた方がいいんだろうな」と思いながらも「やめられない」ということが、誰でも1つ以上思い浮かびやすいのが現代のアテンション・エコノミー、つまりSNSや動画サービスが人の注意を意図的に引き続けるよう設計された経済構造の弊害の1つかと思います。

この「やめた方がいいとわかっているけれども、やめられない」を作っている脳内モデルを変えていくヒントが「予測処理モデル」にあるのです。

3. 脳は「予測する機械」である——カール・フリストンの予測処理(Predictive Processing)理論

神経科学者カール・フリストン(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)が提唱した予測処理(Predictive Processing)理論は、脳の働きをこう説明します。

脳は世界をそのまま受け取っているのではなく、「次に何が起きるか」を常に予測し、実際の感覚との誤差を照合しながら認識を更新し続けている。この予測モデルは、過去の経験から構築されます。

そしてもう一つの原則があります。予測から外れた変化は、脳が「危険のシグナル」として処理する。

だから変えようとするたびにブレーキがかかる。部下への関わり方を変えようとする。長年の習慣を見直そうとする。そのたびに脳が「待て」と言う。これは性格以前に、脳の仕組みです。

この予測モデルは、安全に処理できる小さな誤差を受け取り続けることで、はじめて更新されます。大きな刺激でも強い努力でもなく、安全な誤差の積み重ね。

そして更新された予測モデルは、判断の引き出しを増やします。同じ状況に対して、これまでとは違う選択肢が見えるようになります。ここから、タイトルの「月曜の朝の判断の違いがなぜ起きるか」に結びつけて考えていきます。余暇に積み重なった小さな更新が、翌日の判断の引き出しに影響する——その仕組みです。

4. 美術館で何が起きているか——「見る」だけで更新は始まる

では、絵の前に立つとき、何が起きているか。

「こういう作品だろう」という予測を持って近づく。実際に見ると、「思ったのと違う」という感覚が生まれる。次の作品への見方が少し変わる。また「違う」という感覚が来る——この繰り返しは、予測符号化(Predictive Coding)と呼ばれるプロセスそのものです。脳が予測と誤差を照合し、内側のモデルを静かに更新している。

しかも、失敗を感じなくて済む安全な環境で。美術館で絵を「見間違えた」ことで評価が下がる人はいません。本来、アートはどんな自由な解釈も許す空間だからです。だから脳は警戒せずに誤差を受け取り、更新できる。

音楽を聴くとき、旅先で見知らぬ街を歩くとき——すべての瞬間に、同じことが起きています。「見る・聴く・感じる」という受け取る行為だけで、脳の予測モデルは動き始めます。

もちろん、これらは仕組みの理論です。本来持っている資質にかけあわせて、どんな環境でこのプロセスをどのくらいの粒度を持ってくり返すかにより、素人から大谷選手までの違いが出るものと捉えてください。

5. さらに「やる」と、更新の深度が変わる

ここでもう1つ観点を加えると、「見る」と「やる」は、神経科学的に異なります。

まるで絵を描かないけれどもちょっと美術館に行って1時間絵を見ただけの人と、毎日絵具に触ってキャンバスに向かい、どのように仕上げようか試行錯誤している美術家とは、同じように1枚の絵を見ても、元々の予測も違う、何を受け取れるかの知覚の幅も質も量も違う、そこで生まれるフィードバックも違う。という観点です。

「見る」が予測符号化(Predictive Coding)の領域——脳内での予測と照合——であるのに対し、「やる」は能動的推論(Active Inference)の領域に入ります。行動することで自ら世界に誤差をつくり、その誤差を自分の手で受け取る。

たとえば、いけばな。この花をここに入れたら、どんな形になるか——予測する。いけてみる。俯瞰する。「思ったのと違う」という誤差が、必ず出る。その誤差を受けて、次の選び方が変わる。

このとき何が起きているかというと、自分が起こした行動が新しい感覚入力をつくり、それが予測モデルを更新している。見るだけより、更新の回路が一段深くなる。そして自分の意志で動かした手から来た誤差は、外から受け取った誤差より定着しやすい。

茶道、書道、料理、楽器——文化的な「稽古」と呼ばれる実践が長く続いてきた理由は、様式の保存だけではないと私は考えています。その1つが、この更新をおこなう場として文化的な共有知として機能してきたからとも言えるのではないか?そんな仮説を持っています。

6. 「なぜか続いている習慣」は何でしょう?

美術館でも、音楽でも、料理でも、山を歩くことでも——「なぜかこれだけは続いている」という趣味がある人にとっては、振り返ると思い当たることが多々あると思います。

そして、続いている趣味というのは、何かしら「安全に誤差を受け取れる」環境になっているのではないでしょうか。

スクロールし続けるSNSや自動再生される動画に時間を使った翌日と、美術館や音楽の翌日とでは、月曜の頭の状態が違う。それは、短期で見るとキャパオーバーになっていた情報が入れ替わってリフレッシュしたからでしょう。しかし、そういう趣味を続けている人にとっては、脳が更新されているかどうかという仕組みも大いに見出せるというわけです。

新しいことを始め以前に、すでに続けている習慣の中に、脳を更新する構造が備わっている可能性があります。それに気づくだけで、同じ習慣がまったく違う意味を持ち始めます。

まとめ

・ 「変えられない」は意志の問題ではなく、脳の構造の影響が大
・  脳が更新されるのは、安全な誤差の積み重ねから
・ 「見る」だけでも更新は始まる。「やる」と、深度が変わる
・  更新された脳は、判断の引き出しを増やす
・  すでに持っている習慣の中に、答えがある
 

梅澤 さやか

KAFUN株式会社 代表 / カルチャーマーケティング・コンサルタント
慶應義塾大学美学美術史学卒。30年・270件以上の文化マーケティング実績を持つ。文化資源の再編集、映像によるブランド構築、芸術ウェルネスなど、文化と経済を結ぶ事業を展開。著書に『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』。

KAFUN(カルチャーマーケティング・コンサルティング / 文化体験プログラム企画制作)
cultiba(アート行動調律プログラム)


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