——人を呼べた。話題にもなった。それでも続かない。その感覚に心当たりがあるなら、理由は施策の外にあるのかもしれません。神山町と東吉野村が、20年かけて見せてくれたこと。
「やっても続かない」のは、手段が足りないからではなく、宛先がずれているから?考えていきます。
地域づくりの現場で、繰り返し聞く声があります。
「魅力はたくさんある。でも、外から見て何が刺さるのか、正直わからない。」 「コンテンツはある。イベントもやった。人も来た。でも、続かない。」
そして、その「続かない」に対して、次の一手が検討されます。有名人を呼ぶ。話題のコンテンツを誘致する。発信を強化する。どれも間違いではありません。ただ、やり続けても「続かない」だけが変わらないとしたら、少し立ち止まってみたくなります。
足りないのは、本当に「次の手段」なのでしょうか。
目次
1. 手段を足しても、同じところを回ってしまう
「続かない」と感じたとき、つい、足りないものを探したくなります。予算が足りない、発信が足りない、目玉が足りない、と。そうやって手段を足していく。けれど、手段を足しても続かないのなら、答えは「足りない手段」の中にはないのかもしれません。
問題は「何をやるか」ではなく、その施策が「誰にとっての、何なのか」がずれている——現場を歩いていると、そう感じる場面が少なくありません。来てほしい人と、差し出しているものが、対になっていない。だから、一度は人が来ても、もう一度来る理由が生まれにくい。
言い換えると、「続かないのは、手段が足りないからではなく、宛先がずれているからかもしれない」。そう捉え直すと、探す先が変わってきます。次の手段ではなく、宛先へとーー。

2.「集客」と「集まる状態」は、似ているようで違う
ここで一つ、見方を入れ替えてみます。
魅力を「外から見て何が刺さるか」と問うているうちは、私たちはまだ魅力を探しています。けれど、続いている地域は、魅力を探していないように見えます。自分たちの資産が「誰にとっての何か」を定義し直し、その相手をここでは「宛先」と呼んでいます。
これは「集客」とは少し違うことです。集客は、不特定多数を一度集める行為で、それ自体を目的にすると、毎回ゼロから集め直すことになりがちです。一方、宛先が定まると、その相手にとっては「ここに来る理由」が残ります。だから、また来る。人が「集まる状態」が生まれる。同じ「人を集める」でも、続くかどうかはこのあたりで分かれているように思います。
抽象的に聞こえるかもしれません。これを20年以上かけて、実地で見せてくれた町があるので、ご紹介させてください。
3. 神山町が、20年かけて見せてくれたこと
ただし、ここで一つ注意が必要です。
徳島県神山町。人口およそ5000人。1955年の合併時には2万人だった町が、4分の1まで減りました。森林率は8割を超え、典型的な中山間地域です。外から見れば「何もない過疎の町」でした。
その町に、いまでは東京のIT企業やデザイン・映像関連の企業が次々とサテライトオフィスを構え、クリエイターや起業家が移住し、2023年には民間出資による高等専門学校まで開校しました。地方創生を語る人で、神山の名を知らない人はいない、とも言われます。
注目したいのは、何が「転換」したのか、です。
神山は、自分たちの資産を「都心のオフィスに集まらなくても働ける人にとっての、最高の仕事場」として定義し直しました。
資産そのもの——自然、空き家、静けさ——は何も変えていません。変えたのは宛先です。「観光客一般」ではなく、「ここでも働いていける、と気づく人」。その相手に向けて、空き家をオフィスに改修して差し出す。来てほしい職種の人を、こちらから指名して招く。宛先を絞ったからこそ、「自分が求められている」という意識の濃い人が集まり、場の価値が上がっていきました。
そして——ここは見落とされがちなところです。
この転換は、一朝一夕には起きていません。
神山には、受け皿がありました。地元出身の大南信也さんが仲間とともに始めたまちづくりは、1990年代後半の道路清掃活動や、海外アーティストを招く「アーティスト・イン・レジデンス」(1999年〜)から始まります。2004年にNPO法人グリーンバレーを設立し、町と協働して空き家を紹介し、移住者の受け入れ体制をつくり、生活を支える。その積み重ねが20年あって、いまの神山があります。同じ時期に光ファイバーを引いた町は、ほかにもありました。続いたのは、宛先を定義し、それを受け止める人がいた神山でした。
その姿勢を、大南さんはこう表現しています。来てもらう企業も、迎え入れる住民も、対等であること。「郷に従え」を求めず、関わり方を強制しない。その余白が、よそから来た人にとっての居心地になり、かえって自発的な地域参加を生みました。受け皿とは、住民を施策の道具にすることではなく、相手と対等に向き合う構えのことなのだと思います。
同じ構造は、奈良県・東吉野村でも起きています。人口約1500人のこの村は、10年かけて「創作活動に取り組む人材の移住」を軸に積み重ね、世界の都市で活動してきたデザイナーが自ら「ここで働きたい」と選ぶ場所になりました。派手な目玉ではなく、自分たちの資産の本質を軸に据えた、地道な受け皿づくりの先にあった光景です。
4. 文化という視点は、宛先を定義し直すためにある
神山も東吉野も、資産は変わっていません。変わったのは、「それが誰にとっての何か」という定義です。
ここで言う「文化」とは、施設やイベントのことではありません。人がそこで何を感じ、何を求め、どう生きてきたか——過去・現在・未来にわたる人の営みの総体として、資産を見る視点です。過去の継承だけを見るのでも、いまのトレンドだけを水平に追うのでもなく、その両方を同時に包んで眺める。そうしてはじめて、資産が持つ複数の宛先が見えてきます。
神山の大南さんは、減りゆく人口に抗うのではなく、「過疎の中身を健全にする」という考え方を掲げました。20年後の人口構成を具体的な数字でイメージし、そこから逆算する。遠くに掲げる方向性と、歩いて届く射程。この二層があったから、宛先の定義が実際に動いていきました。
ただし、書いておきたいことがあります。宛先が合っても、それを受け止める人が地元にいなければ、続きません。神山の20年、東吉野の10年が示しているのは、再定義は出発点にすぎない、ということです。価値の転換は、それ単独では魔法になりません。担い手という土台があってはじめて、定義は定着に変わります。そこを飛ばして「見方を変えれば価値が現れる」とだけ語ってしまうと、いちばん大事なところが抜け落ちてしまう——自分への戒めも込めて、そう感じています。

5. 続く提案には、何が書かれているか
もし施策を足す前に、一つだけ問い直せるとしたら、こんな問いかもしれません。
私たちの提案書は、「何をやるか」を書いているだろうか。それとも、「これは誰にとっての何か」と「誰が受け皿になるのか」まで書けているだろうか。
「何をやるか」だけでも、人は来ます。ただ、年月の中で残っていくのは、後の二つを書けたときのように思います。続くかどうかは、案外、予算が通る前のこの段階で、もう決まっているのかもしれません。
地域の資産は、まだ出会っていない相手にとって、思いがけない価値を持っていることがあります。その相手を探すのではなく、定義する。そして、定義した相手を受け止める人を、提案のまんなかに置く。それが、「やっても続かない」というループから抜ける一歩になるのではないか——神山や東吉野を訪ねるたびに、そう感じています。

| 続く提案に、共通して入っているもの ・名指せる宛先—— 「観光客一般」ではなく、「これは誰にとっての何か」。相手が一人、顔として浮かぶくらいまで像が結べていると、続きやすいようです。 ・二人目になれる実例—— 「うちが最初の一人」ではなく、「すでに他所で起きたことの、二例目」。神山も東吉野も、リスクをとる理由としてではなく、リスクを下げる根拠として置けます。 ・受け皿と、歩ける射程—— 誰が担い続けるのか。そして5年先から、子どもが大人になる20〜30年先まで、何がどう変わっていくのか。遠い方向性と、いま測れる射程。この二層が見えていると、提案は強くなります。 |
まとめ ・「やっても続かない」とき、足りないのは次の手段ではなく、「それが誰にとっての何か」という宛先の定義であることが多い ・「集客」を目的にすると毎回ゼロから集め直すことになりがち。宛先が定まると、人が「集まる状態」が生まれる ・文化とは、過去・現在・未来の人の営みを俯瞰し、資産を「誰にとっての何か」へ定義し直す視点 ・神山町・東吉野村が見せてくれたのは、再定義は出発点であり、受け皿となる担い手がいてはじめて定着するということ ・続くかどうかは、予算が通る前——「誰にとっての何か」と「誰が受け皿か」を描けた段階で、すでに決まりやすいる |
梅澤 さやか
KAFUN株式会社 代表 / カルチャーマーケティング・コンサルタント
慶應義塾大学美学美術史学卒。30年・270件以上の文化マーケティング実績を持つ。文化資源をあたらしいマーケットにつなげて共有する言語化、アート制作を通じたウェルビーイングプログラムの企画プロデュースなど、文化と暮らしを結ぶ事業を展開。著書に『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』。
❖ KAFUN(カルチャーマーケティング・コンサルティング / 文化体験プログラム企画制作)
❖ cultiba(アート行動調律療法)





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