「右に行こう」は言えても、「どこへ」は言えない。
答えは、蛇口の水のように出てくる。なのに、どこへ向かえばいいかは、誰も教えてくれない。
あなたの子どもは、何かあるとすぐにAIに聞いていないだろうか。少し前まで、それはYouTubeだった。わからないことがあれば、動画を探した。それがいつのまにか、AIに変わっている。
私の友人は、夫とのいざこざをAIに相談して、自分の感情の行き先を整理する。今夜の献立を尋ねる。職場で起きた行き違いについて、客観的な見方と、どう返せばいいかの助言をもらう。一日のうちで、彼女が「人」より先に相談する相手は、もうAIなのかもしれない。
聞けば、何でも答えが返ってくる。蛇口をひねれば水が出るように、答えが出てくる。便利だ。否定する理由はない。
ただ、ときどき、手が止まる。——「で、自分は、何を選べばいいんだろう」。
同じ道具なのに、世界の反応は割れている
ここで少し引いて、世界を見渡してみる。
同じ技術が、同じように受け取られているわけではない。
AIを「弊害より利益が大きい」と見る人は、中国では8割を超え、アメリカでは4割に届かない(スタンフォード大学HAI『AI Index 2025』)。「AIは仕事を生む」と考える人が中国では8割近くいる一方、日本では6割以上が「仕事は奪われる」と答えている(Ipsos『Predictions 2025』)。調べてみると、ほとんどの国で、期待より不安のほうが上回っている。例外はごくわずかな国だけだ(Pew Research Center, 2025)。
同じ道具なのに、歓迎する社会があり、恐れる社会があり、奪われると見る国があり、生まれると見る国がある。
だとすれば、未来を決めているのは、技術そのものではない。それぞれが、何を選んだかだ。AIが私たちをどこかへ連れて行くのではなく、私たちが、AIとどう生きるかを選んでいる。そして「まだ決めていない」「様子を見ている」というのも、ひとつの選択だ——自分の行き先を、誰かに決めてもらう、という選択。
正解は、まだ誰にも示されていない。
便利さの、見えにくい代償
便利さには、気づきにくい代償がある。
知識労働者を対象にしたある研究では、AIを信頼している人ほど、自分で深く考える度合いが下がっていた。そして、AIを使う人ほど、出てくる成果が互いに似通っていく。研究者はこれを、考える力の「劣化」と呼んでいる(マイクロソフト・リサーチ/カーネギーメロン大学, CHI 2025)。
こわいのは、その鈍りが、感じられないことだ。むしろ、答えが速く正確に出るぶん、「自分は前より有能になった」と感じる。賢くなった気がしているそのとき、どこへ向かうかを決める力のほうは、静かに抜けていっているかもしれない。
問題は、「答えが足りない」ことではない。答えは、もう余っている。本当の問題は、気づかないうちに、どこへ向かうかを自分で決める力が、こぼれ落ちていくことだ。
——これは、AIだけの話ではない。手法も、情報も、成功事例も、いくらでも手に入る時代だ。なのに、続かない。決まらない。何を軸にすればいいか、わからない。資産はある。けれど、それが「誰にとっての、何なのか」を、定義できない。

足りないのは、答えなのか
だから、問いを立て直したい。
足りないのは、本当に「答え」なのだろうか。
AIは「次を右」とは言えても、「どこへ」とは言えない
AIは、車のナビに似ている。「次を右」と、一歩ずつ教えてくれる。けれど、「どこへ行きたいのか」は、決めてくれない。いまある道の中で最短を示すことはできても、行き先そのものは示せない。地図を引き直すこともしない。
しかも、ナビはみんなを同じ最短ルートに乗せる。AIの答えも、世界中の「それらしい答え」の平均へと寄っていき、似たような結論に、みんなで揃っていく。
すると、こういうことになる。平均から選んでいるかぎり、まだ地図にない場所には、たどり着けない。そして本当に行く価値のある行き先は、たいてい、まだどの地図にも載っていない。
これから希少になるのは、答えを速く出す力ではない。
まだ無い行き先を、思い描ける力のほうだ。
その力は、使えば育ち、使わなければ鈍る
そしてこの力は、放っておくと鈍る。
私たちは、もうそれを体で知っている。電卓を使ううちに、暗算が遠くなった。カーナビを使ううちに、道の感覚が薄れた。これは実際に確かめられていて、GPSをよく使う人ほど、自分の力で道を覚えておく記憶が弱くなる(Dahmani & Bohbot, Scientific Reports, 2020)。逆に、街の隅々まで道を覚え込んだロンドンのタクシー運転手は、記憶をつかさどる脳の部位が大きくなることが知られている(Maguire ほか, 2011)。
使えば育ち、使わなければ鈍る。それは、筋肉に似ている。答えを丸ごと預けてしまうと、その答えを見極める眼も、どこを目指すかを決める感覚も、いっしょに落ちていく。
逆に言えば、育てることもできる。
実際、地方創生が根付いている地域がやったのは、施策を足すことではなかった。奈良の東吉野村も、徳島の神山町も、まず手をつけたのは「自分たちは、どこを目指すのか」を描き直すことだった。答えを増やしたのではない。行き先を、定義し直したのだ。
行き先を描きたいなら、「作ってみる」こと
では、その「行き先を描く力」は、どうすれば育つのか。

ひとつ、遠回りに見えて、近道がある。
何かを「作ってみる」ことだ。
霊長類学者の山極寿一さんが、興味深いことを言っている。食べ物を分け合うこと自体は、人間だけの能力ではない。チンパンジーもゴリラも、仲間に食べ物を分ける。けれど人間だけが、その食べ物を運んで、向かい合って一緒に食べ、さらに——その場にいない仲間のために、持ち帰ることを思いついた(山極寿一, 霊長類学)。目の前にいない誰かのために、何かを差し出す。その想像力が、人間を人間にした。
何かを作るという営みは、これによく似ている。
絵でも、文章でも、料理でも、庭でもいい。
作るとき、人は、正解のない「これでいい/これではない」を、何度も何度も選ぶ。まだ存在しないものを、手を動かしながら、見える形にしていく。
しかもそれは、頭の中の計画を、そのまま外へ写す作業ではない。木の節を見て、鑿の入れ方を変える。土の湿り具合に、手のほうが応える。書いているうちに、言葉が、思ってもみなかった方へ進みはじめる。
日本列島に生きる私たちに馴染みがある「作る」とは、素材や道具という「モノ」の声を聞き、その手応えに応えながら、人と、自然と、モノとのかかわりのなかから、まだ無い世界を立ち上げていくことだ。向ける先は、人だけではない。自然へ、モノへ、そのかかわりそのものへと、手は伸びていく。
実際、アートやデザインの訓練を受けた人は、ひとつの問いから多くの可能性を広げる力が高く、世界を人とは少し違うように見ることがわかっている(npj Science of Learning, 2025)。デザインの現場では、まだみぬ未来を、あえて模型や物語に「作って」みることで、はじめてそれを見て、語り合えるようにする方法が使われている(Futures, 2025 ほか)。

そして、作るという行為には、もうひとつの顔がある。
作り手はいつも、その場にいない誰かのために作っている。読む人、見る人、食べる人——目の前にいない相手に向けて、差し出している。作ることは、もともと「目の前にいない人への贈り物」なのだ。
ここに、大事なことがある。「どこへ向かうか」を決める力は、それだけだと、ただ自分のための最適化に終わりかねない。けれど、その行き先が「誰のためのものか」——会ったことのない誰か、まだ生まれていない世代のため——と結びついたとき、選ぶ力は、自分を超えていく。作ることは、選ぶ力を、独り占めから、贈り物の側へと向け直す。
言葉になる前のところで発想し、それを目の前にいない人への贈り物にする。この二つを同時に動かす営みが、「アート」の力だと私は考えている。そしてこれは、一度やって終わりではない。使えば育ち、使わなければ鈍る力だから、繰り返し、手を動かすしかない。それが、拙著であつかった「稽古」とも言える。
文化とは、つまるところ、この贈り物を、世代を超えて受け渡してきた営みのことだ。先人が「これは、目指すに値する」と選び、形にし、次へ手渡してきた、その厚み。
それが、私たちの行き先の候補を育て、選ぶ眼を鍛える。AIは、行き先を決めてはくれない。けれど、行き先さえ決まれば、それを多くの人が歩ける道順へと、見事に翻訳してくれる。
答えではなく、行き先を
AIのおかげで、答えはいくらでも手に入るようになった。だから、これから問われるのは、答えを出す速さではない。どこへ向かうかを、自分で決められるかだ。
そしてその力は、答えを聞くことではなく、自分の手で何かを作るなかで育つ。まだ無いものを形にし、目の前にいない誰かへ差し出す——それが、行き先を描くということだ。
私も、自分の行き先を探したり、更新したり、精査し続けている。
だから最後は、答えではなく、問いで終えたい。
私たちは今、どこへ向かおうとしているだろうか。
その行き先だけは、AIに聞いても、出てこない。
| まとめ ・ 答え(道順)は、タダになった。 ・ これから希少なのは、まだ無い行き先を、思い描く力。 ・ その力は、預けると、気づかぬうちに鈍る。電卓やナビで、私たちはもう知っている。 ・ AIは行き先を決めないが、決まれば、みんなが歩ける道順へと翻訳してくれる。 ・ 行き先を描くには、作ってみること。文化は、その稽古場であり、世代を超えた贈り物だ。 |
梅澤 さやか
KAFUN株式会社 代表 / カルチャーマーケティング・コンサルタント
慶應義塾大学美学美術史学卒。30年・270件以上の文化マーケティング実績。著書『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』
出典
出典一覧
- スタンフォード大学HAI『2025 AI Index Report』(Ipsos調査)——AIを「益が大きい」と見る割合の国別差(中国・米国ほか)。
- Ipsos『Predictions 2025』——AIと雇用をめぐる見方(中国77%が「雇用を生む」/日本65%が「奪われる」)。
- Pew Research Center(2025)——AIへの期待と不安の国際比較(多くの国で不安が上回る)。
- Lee et al., “The Impact of Generative AI on Critical Thinking,” マイクロソフト・リサーチ/カーネギーメロン大学, CHI 2025——AIへの信頼と批判的思考の関係、出力の画一化。
- Dahmani, L. & Bohbot, V. D., “Habitual use of GPS negatively impacts spatial memory during self-guided navigation,” Scientific Reports(Nature), 2020——GPS利用と空間記憶の低下。
- Maguire ほか(Woollett & Maguire, 2011 ほか)——ロンドンのタクシー運転手と海馬の発達。
- npj Science of Learning(2025)——アート・デザイン訓練と拡散的思考・脳ネットワークの柔軟性。
- The Journal of Creative Behavior(2025)——知覚の柔軟性と創造性。
- Futures(2025 ほか)——スペキュラティブデザイン/未来を「作って」描く方法。
- 山極寿一(霊長類学)——食物分配・共食と人類の進化(各種講演・インタビューより)。





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